肌触りがよく軽やかで温かみのあるシルク。その上品な光沢から、古代中国では皇帝や国王への献上品として大変貴重な素材として扱われたといいます。現代でも、シルク製の衣類はその吸湿性と放湿性の高さから人気を集めています。
しかしながら、シルクを製造する際に欠かせない蚕の飼育における倫理的な課題には、批判的な見方もあることをご存知ですか?美しいシルクの歴史とその製造工程について学び、シルクを取り巻く課題について考えてみましょう。
シルクとは?誕生の歴史
シルクは、蛾の幼虫である蚕がさなぎになる前に作る繭(まゆ)を巻き取った糸状の繊維で、絹とも呼ばれています。
シルクの製造は紀元前15世紀ごろに中国で始まり、その後ヨーロッパや日本に広まったとされています。その起源について確かなことはわかっていませんが、19世紀には中央アジアを横断する東西の交易路が「シルクロード」と名付けられるなど、シルクは世界中で重宝される繊維の一つとなりました。
春の暖かい時期になると孵化する蚕は、はじめは3mmほどの大きさです。それから桑の葉を餌に成長し、脱皮します。この食事と脱皮を数回繰り返すと、やがて口から糸のもとを吐き出し少しずつ繭を作っていきます。3日ほど経つと、蚕は繭の中で糸を吐き出すのをやめ、再び脱皮してさなぎになります。そして、この時に出来上がった繭を熱湯で茹でて、張りついた糸をほぐして巻き取ったものが、生糸(きいと)と呼ばれるシルクの原料です。
その後、巻き取った細い生糸同士を寄せ集めることで、シルク製品の原料として使用できる太くて強いシルクになります。
シルクとヴィーガン。シルクが抱える倫理上の課題
蚕は、桑の葉をひたすら食べて育つ草食性の昆虫です。一見、エシカルでヴィーガンな素材のように思えますが、そこにはどのような課題が眠っているのでしょうか。
繭の煮沸による殺傷
はじめに、繭から生糸を巻き取る工程で欠かせない「索緒(さくちょ)」と呼ばれる煮沸作業の問題があります。
繭はとても繊細な上、粘り気のある成分で糸同士がくっついているため、蚕が吐き出した糸をそのまま引っ張ってもうまく紡ぐことができません。そこで繭を煮ることで糸同士の結合をほどき、一本の長い生糸として巻き取っています。
本来、蚕は繭の中でさなぎとなった後羽化して成虫(蛾)となるはずですが、シルクの製造工程では蚕が羽化する前に繭ごと茹でてしまうことで、中にいる蚕が死んでしまうのです。
ヴィーガンの立場では、この工程が蚕の意図的な殺傷につながっているとして、倫理に反する素材であると捉えられています。
蚕の遺伝子組み換え
次に、蚕の遺伝子組み換えの問題が挙げられます。
中国を起源に世界各地で発展してきた養蚕業。その流れの中で、蚕の多くは遺伝子の組み替えをはじめとする品種改良を加えられ、家畜化昆虫となりました。
その結果、蚕の成虫である蛾は野生として生きていく能力を部分的に失い、口があっても物を食べる能力がなかったり、羽があっても飛ぶ能力がなかったりします。
この蚕の自然回帰能力の淘汰は人為的であるとして、養蚕自体に否定的なヴィーガンもいるのです。
シルクをめぐるその他の問題
動物倫理の観点から、蚕・シルクの歴史や製造工程へ疑問を抱く人々がいる一方、繊維の環境負荷や生物多様性への配慮として、また別の視点から指摘を投げかける人々もいます。
シルクはもともと燃えにくい素材である上、燃やしても有害ガスが発生しないため、他のいくつかの繊維と比較して環境への負荷が低いという見方があります。
また前述の蚕の遺伝子組み換え問題に対して、すでに自然回帰能力を失った蚕たちは自然環境の中で自力で生きていくことが困難なため、人間が養蚕をやめてしまったら蚕が絶滅してしまうのではないか、という懸念もあります。
従来のシルクに変わる新しいシルク
このように、養蚕とシルクの製造には賛否両論様々な考え方がありますが、従来のシルクと比較してより倫理的な方法で作られるシルクもあります。
本記事では、ピースシルクとワイルドシルクの2種類をご紹介します。
エシカルなシルク「ピースシルク」
ピースシルクは、成虫になる前の生きた蚕を茹でてしまうことがないよう配慮を加えて製造されるシルクです。さなぎとなった蚕が羽化して繭を去るのを待ってから生糸を紡ぐため、蚕に害が及びません。
例えばインドで生産されているAhimsa Silkは、蚕を殺すことなく製造されるピースシルクの一つです。
さなぎが羽化するまでにかかる時間はおよそ10日。つまり、ピースシルクは通常のシルクに比べ、製造にそれだけ多くの時間がかかるということです。さらに、蚕は羽化する時に繭を破って外に出るため、ピースシルクの製造方法では、生糸が途中で切れてしまい長い糸として紡ぐことができません。
蚕の生命を守りながら生産されるピースシルクですが、以上のような理由から低コストで大量生産することが難しく、まだまだ広く流通していないという課題が残されています。
環境負荷にもアプローチできる「ワイルドシルク」
「シルク」と一口に言っても、家畜環境で育つ蚕からとったシルク「家蚕糸(かさんし)」の他に、蚕以外の繭を作る昆虫からとったシルク「野蚕糸(やさんし)・ワイルドシルク」も製造されています。
例えば日本固有の在来種である天蚕(やままゆ)はワイルドシルクの一種で、家畜化された蚕とは異なり野生環境で育つため、家蚕に比べるとより倫理的な素材であると言えるでしょう。また、ワイルドシルクは育った地域に生育している植物を食べて育つため、遺伝子汚染のリスクも低く、環境負荷の面からもよりサステナブルであるとされています。
天蚕の他にも世界には様々な種類のワイルドシルクが存在していますが、野生の昆虫であるという点には十分な注意が必要です。つまり、生物多様性に配慮した倫理的な生産量と生産方法を維持していくことが重要なのです。
まとめ
シルクをめぐる問題には、動物倫理に配慮するヴィーガン的観点の他にも、環境負荷や生物多様性といった視点もあり、その善悪は一概に判断出来るものではありません。しかし、本記事でご紹介したピースシルクやワイルドシルクのような代替素材の開発も進んでいます。
自分が大切にしたい価値観を今一度見つめ直し、主体的な製品選びを行っていきたいですね!
【参照サイト】
岡谷養蚕博物館
【参照記事】
国立研究開発法人農業生物資源研究所|カイコってすごい虫!
The evolutionary road from wild moth to domestic silkworm
風の旅行社|「シルクロード」とは?
大日本蚕糸会|カイコを育てよう
新しいシルク素材としての野蚕